2010年2月25日木曜日

木曽路!

          親孝行旅行という名目で両親を誘って一泊二日の木曽路の旅に行ってまいりました。
          江戸と京を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていたそうです。
          中山道の宿場町も明治になると、鉄道や道路の発達で機能を失い衰退の一途。
          江戸から数えて四十二番目の妻籠宿は、戦後全国に先駆けて町並み保存運動が始まり
         「売らない・貸さない・壊さない」の三原則で江戸町並みを保存した為、
          現在では国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、かつての宿場町の姿を色濃く残しております。

              江戸時代にタイムスリップしたかのような町並み。
              平日だったので観光客も少なく、ちょっと寂れた感じ…。週末は賑わうのかなぁ?

          こちらは木曽五木の禁制が解かれて明治十年に総檜造りで建て替えられた脇本陣 囲炉裏の間。
          こちらの案内係りの方が素晴しく、いろいろ説明しながら丁寧に案内してくれました。
          囲炉裏の座る位置も決まっていて、カメラ撮影している位置が主人の座。
          主人に煙がこない様、向い側に風除けの屏風が置かれている。
          煙がくる正面側は子供達。子供や嫁は板の間に正座だったそうです。
          敢えて苦を味わわせて、精神力を養わせていたんでしょう。
          格子窓からの陽光カーテンが素敵です。いい写真じゃないですか!?

          木曽町開田高原にある”木曽馬の里”。
          木曽という山また山の険しい山間高冷地で永年飼育されてきた木曽馬は、
          厳しい自然環境に適応して極めて強健で粗食に堪える馬だそうです。
          でっぷりしたお腹は消化器が発達し、ススキやカリヤス等の干草で充分栄養を保つことができ、
          短く太い肢は、荷を載せたり農耕馬として、また後肢がX状になっているので
          急な山路でも踏みはずすことなく、急な坂を上がったり下ることが上手な馬だそうです。
          この木曽馬も160頭ほどが飼育されるのみとなっているそうで、
          木曽馬保存会が保護育成と共に利活用を模索しているようです。
          
          木曽桧をはじめ良質な木材の産地 木曽への旅を終えて感じたこと…。
          日本は国土の約七割が森林。森林は生命の源である『水』を育む。
          だが、ほとんどの森林は手が入らず本来の機能を充分に発揮できていない状態。   
          森林が荒廃していくことは日本が荒廃していくこと。
         ”美しい国 日本”にするには第一次産業が元気にならねば…。
          お母さんの実家は木曽の須原で林業を営んでいたが、戦後の燃料革命、
          また木材の輸入自由化で廃業に追い込まれたそうだ…。
          第一次産業が元気になる仕組み作りが必要だと強く感じさせられた旅でした。
                   

0 件のコメント: